物事を突き詰める事の意義
「旅は始めに辿り着く為の遠回りだ」と誰かが言った。
「自分は正しい」そう思わなければ行動は起こせない。
ただ、そう思う事に裏付けが無ければ「自分が正しい」となってしまう。
それを「ひとりよがり」だと自分では気付く事ができない。
人は一人でできる事に限界がある。比較できなければ、正しい事と誤りの区別がつかない。
そして、比べ、無駄を削り、より磨きをかけ、限界まで貪欲に求め続ける。
中途半端な、理念の無い真似事はそこで淘汰される。探求する事が苦しいからだ。
また、成長や産みの喜びは実感となって熱狂を生みだす源泉となる。
ただ、その実感に至るには忍耐が必要だ、明確な保証が無い中で。
根性、自分の土台たる哲学を自らで確立しなければ踏ん張れない。
そう、他人の哲学を土台にしても不安定ですぐに諦めるか、
他人の哲学に依存する偶像崇拝に陥りかねない。
他人から学び、自分を省みて、削ぎ、取り入れ、自己を昇華していく。
そのプロセスを自らに経験させる事無しに、
他に対してそのプロセスを適用する事はまず叶わない。
リアリティを伴わないプロセスなんて理想論に他ならないからだ。
苦悩し、挫折し、真似事から新たな自分を見出せない限り二流だと、
以前に、現状に甘んじるマニュアル通りでも構わない人は三流だと自分は考える。
ただ、一流には定義も方法も無い、誰も教えてくれない。*1
辞書通りのクソッタレな定義じゃない。もっと本質的な何かだ。
自分の才能だとか確率だとかそんなんじゃ無い。
*1:守・破・離の考えを参考。